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ブログを引っ越します!


ブログを引っ越します。↓です



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なお、このエキサイトブログに投稿していた過去記事(2008年6月~2020年5月)については、このエキサイトブログにて、しばらくの間は公開しようと思っています。

# by mamesyakuhachi | 2020-08-07 21:40 | 尺八と生活

「半島を出よ」村上龍


「半島を出よ」村上龍_b0145160_19281252.jpg


2005年出版の村上龍の小説。
ごく簡単なあらすじは、福岡に北朝鮮の特殊部隊が攻め込んできて、福岡ドームを占領し、一夜で福岡を武力で制圧するという話。

もし将来、他国から武力や暴力で支配されることになったら超絶に怖いだろうなってことがリアルに感じられる小説になってます。

それと、作中で描かれる日本政府の対応が、まーリアルというか、あーこうなりそうって感じなんすよね。
特殊部隊を排斥することもできないし、かといって容認もできない、交渉すらしない。誰も決断しないし、どっちつかずで責任転嫁されたまま事態は悪化という感じ。
(いや、これ政府が悪い云々とかじゃなくて、自分自身の当事者意識にも通じるんすけどね。自分のありようが政府のありようと無関係とは思えないので)

今現在世の中はコロナとかで不安感が増してますけど、ウイルスにせよ、戦争にしても、自分じゃどうにもできないことってあると思うんすよ。
じゃあ、そういうときに不安や恐怖の中でどうすんかってことになるんすけど、それについてこの小説の一節を引用します。(小説の後半、特殊部隊と武装した半ホームレスのヒノが戦闘する場面です)


恐怖が和らいだわけではない。ヒノは今でも恐かった。だが恐怖を自覚するのと、気づかないふりをしてごまかすのでは対処の仕方が違う。恐怖とその対象を認めなければ、恐怖に対応できないのだ。ヒノは小便を漏らしそうなくらい恐いが、コリョが現れたときにどう対応するかわかっている。不安や恐怖があっても、それを自覚してどう対応するか自分で決めることができたら、とりあえず立ち向かっていけるのだ。


恐怖は消えないし、無理に消そうと思ってもあんまり意味ないと思うんすよね。
それよりも「ものすごく怖い」ってことを自覚して、じゃあ具体的に何ができるのかってことを考えることが一番大事だと思います。

この小説は基本的にずっと暗いし、読むと不安になる。
でも小さいけど希望と可能性はあるんすよ。
小説の最後はもうなんか言葉にならないくらい感動するし、薄っぺらい絆とかもうどうでもいいやって感じになります。

上下巻で長い小説ですけど、絶対読む価値がある本です。



# by mamesyakuhachi | 2020-05-07 20:50 | 村上龍



ニュースはどれを見てもコロナ関係ばかりですね。
情報を得ることは大切と思いつつも、まー見続けるとちょっと暗い気持ちになります。

こんな時期だし、少しは元気を出していこいかなと思うわけです。

随筆家の若松英輔が「本を贈る」(三輪社)という本の帯に

「大切な人が困っているとき 金銭を送る だが私たちは 言葉を贈ることもできる」

って書いてるのを見て、ああ、いい言葉だなーって思いました。

困っているとき、悩んでいるとき、ほんとに大切なのはお金じゃなくて、自分を支えてくれる言葉なんじゃないかって思うわけですよ。

つーことで、読むと元気がでてくる本をいくつか


「古くてあたらしい仕事」島田潤一郎(新潮社)


吉祥寺で夏葉社という出版社を一人で経営されている島田潤一郎さんの本です。

島田さんは大きな利益を得るためでもなく、マーケティングやブランディングによって最大公約数を狙うようなありかたでもなく、顔の見える一人一人へ本を届けることを大切にされて本づくりをされています。
それは多分、お金がどうこうという前に、まず他人にきちんと敬意を払うこと、そして本を届けることで誰かの心をそっと支えることの大切さを知っているということだと思います。

「大きな声は要らない。感じのいい、流通しやすい言葉も要らない。それよりも、個人的な声を聴きたい。
 だれも『いいね!』を押さないような声を起点に、ぼくは自分の仕事をはじめたい。」



「ダイエット幻想 やせること、愛されること」磯野真穂(ちくまプリマー新書)


本を読み続けたことで俺が最も得た大きなことは「自分の頭で考えることの大切さ」です。
本を読み、自分で考える行為を少しずつしていくにつれて、格段に生きやすくなり、自分を肯定できるようになりました。

自分で考えるという作業は、結局のところ自分の中に評価軸とか判断基準をつくることなんです。それは主体性や積極性を強く育む行為だと感じています。

現代におけるダイエットの最大の問題って、結局のところ他者の中に評価軸を置くことなんじゃないかって思います。
「やせて綺麗に」「やせたらモテモテ」みたいな考えって、それは自分発ではなく他者発の言葉だと思うんです。
やせるべきかどうかは自分で考えて判断していくべきだと思います。

他者の評価軸で生きる限り、それはずっと自分を失って生きることだと思うんですよね。
やせるかどうか、それを自分に取り戻したい人は読んだ方がいい本です。



# by mamesyakuhachi | 2020-03-16 06:18 | 複数著者

つらいときは声にだす



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本を読んでいて何がいいかって、それは辛い時とかに励まされたり、勇気づけられたりするからなんですよ。

それで、以前から凹んだときには好きな本の一節を家で一人で朗読してます。
絵的には寂しいんすけど、これが結構いいんすよ。
涙も元気もでるんすよ。

よく読んでる本の個所をいくつか紹介したいと思います。

「つらい思いをするたびに全部自分のせいだと思わなくてもいいこと、嫌われるたびに全部自分が悪いのだと思わなくてもいいこと、何度失敗をしても、続けていく限り可能性はあるのだということ。」(雨宮まみ「女子をこじらせて」ポット出版)

「自分の弱さこそが光なのだ。そのことに気づくと、この仕事は給料とかステータスとかそんなこととは全く関係なく、自分の人生にとってかけがいのないものになる。」(稲垣えみ子「アフロ記者」朝日文庫)

「かつて日本人は、『かなし』を、『悲し』とだけでなく、『愛し』あるいは『美し』とすら書いて『かなし』と読んだ。悲しみにはいつも、愛しむ心が生きていて、そこには美としか呼ぶことができない何かが宿っているというのである。」(若松英輔「悲しみの秘儀」文春文庫)

「彼らにはやっぱりプー太郎としての共通した雰囲気がある。あくせくしない。金を評価の尺度にしない。だから金に汚くない。面倒くさいと思ったら、さっさとやめる。自分中心に考えていなくて、けっこう無私のところがある。」(保坂和志「『三十歳までなんか生きるな』と思っていた」草思社)

「でもぼくらは、『生きのびる』ために生まれてきたわけじゃない。では何をするために生まれてきたのか。
それはですね、『生きる』ためと、ひとまず言っておきます。」(穂村弘「はじめての短歌」河出文庫)

「まあ中には、自分たちのバンドさえ演奏できれば、あとのことは知らん。そういう考え方するバンドもおるし、みんなを出し抜いて早く有名になりたいってバンドもおる。おいしいとこだけいただきたい気持ちや、あせる気持ちもわからんではないけど、でもね、本当に音楽を長く続けていこうと思ったら、やっぱ長い目で見るしかないんすよね。」(鹿子裕文「ブードゥーラウンジ」ナナロク社)


本って黙って読むことが殆どだと思うんすけど、声に出すと結構いいっすよ。
元気になるんすよ。

じゃーまた。


# by mamesyakuhachi | 2020-02-28 23:49 | 複数著者



奨励会という制度が棋士になり勝つことによって金を得、生活権を得るための、ただそれだけのための競争だとしたら何とむなしいものだろうか。

将棋は厳しくはない。

本当は優しいものなのである。

もちろん制度は厳しくて、そして競争は激しい。しかし、結局のところ将棋は人間に何かを与え続けるだけで決して何も奪いはしない。


音楽をやる豊かさは才能のあるなしとか金になるならないは関係ない 大崎善生「将棋の子」_b0145160_18532570.jpg



将棋にせよ、尺八にせよ、プロになり広く活躍するのは大変なことです。


そしてまた、若いうちはとかくお金を得てプロとして認められることや、大舞台にたちメディア露出するなどの華々しい活躍を夢見がちです。

俺もそうでした。しかし歳をとるごとに、自分のできること、できないことがはっきりするうちに、少しずつ考え方が変わってきました。


「偉い先生に声をかけてもらえる」「格式のある大舞台にたつ」「多くのファンや弟子を得る」という一般的な成功像にはどうやら、俺はいけない。

その挫折感を経た後に、ちょっと俯瞰してみると、じゃあ、それだけが成功なのか、という疑問が残る。

そもそもまず自分が一番大切したいことは「自分自身が豊かな気持ちになること」。そのために一番大切な要素は「自分の演奏が誰かを豊かにすること」。そこから考えると大舞台やメディア露出という活躍ばかりが成功ではないと気付くようになりました。


それで去年、俺の技術でも充分に演奏を楽しんでもらえるような場や環境で、何度も演奏をしてみました(具体的には地域の小さな公共施設とか老人ホーム)。

やって気づいたことは、今の俺でできることが沢山あるということ。積極性と主体性をもってすれば、自分自身も楽しいということ。できないことを認め、できることを真剣にやればいいということ。

俺は17年前に上京して、自分の技術や才能が大したことはないと気付き、それからずっと自己否定を繰り返してました。練習もしたけど、できないことばかりで、役に立たない三流演奏家だと思っていました。尺八を人前で吹くことにずっと自信がなかったし、演奏するのが嫌な時期も結構長かった。


でも、ほんとに少しずつなんですが、去年小さな舞台を大切にしてみて、尺八は俺を見捨ててなかったということに気づくようになりました。尺八は俺に音楽を通して、多くの豊かさや幸せになるための道を残してくれていたのではないかと考えるようになりました。音楽や尺八で食えるようにならなかったけど、そういった成功とは関係なく、音楽をする価値があるということに気づけるようになりました。


冒頭に引用した文章は大崎善生の「将棋の子」というノンフィクションです。

将棋のプロを目指すも、負けて挫折していったものたちの、その後の物語。

たとえプロになれなくても食えなくても、尺八も将棋も、変わらずそこにあるという単純な事実。そして、尺八も将棋も、人に生きる勇気を与え続け、何も奪っていかないということ。

去年はそんなことに気づいた一年でした。




# by mamesyakuhachi | 2020-01-27 18:57 | 大崎善生