最近読んだ本を短めに。
どれもすぐに読めて面白かった本たちです。


穂村弘「整形前夜」(講談社)

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歌人・穂村弘さんのエッセイ。
世間の常識から少しずれている変わり者の穂村さん。
そこが可笑しくて魅力的です。
そして短歌を詠む人である著者の言葉との向き合い方や組み合わせ方には鋭い慧眼を感じます。



有川浩「阪急電車」(幻冬舎文庫)

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同じ電車にたまたま乗り合わせた人物たちのショートストーリー。
それが点と点で結ばれていって終点に向かいながら繋がっていきます。
偶然の出会い、電車から始まる恋や友情。
忘れてたドキドキ感とか高揚感を呼び覚ましてくれます。


チャールズ・ディケンズ「クリスマス・キャロル」(光文社古典
新訳文庫)

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クリスマスにプレゼントするならこの本が良いです。
ベタですが。
クリスマスのささやかで暖かな家族の情景、心のこもった料理や飾り付けが目の前に広がってきます。
どんな人にも幸せなクリスマスがやってきますように。


森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」(角川書店)

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京都を舞台にした大学生の青春と恋愛模様。
夢と現が自由に行き交う展開、古風で鮮やかな古都の風景。
夏の鴨川、夜の先斗町、下鴨神社の古本市。
ああ、京都に行きたいです。


今日はこれにて以上です。
毎週月曜日に更新。次回は11月3日です。

読んで頂きありがとうございました。

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by mamesyakuhachi | 2014-10-27 14:03 | 複数著者など | Comments(0)

今月20日の僕の所属するユニット「やわ風」ファーストコンサートが迫ってきました。

新曲が多いのでリハーサルも自己練習も結構大変です。

でも、何もないところから自分たちで積み上げる事は凄く意義があって、苦しいけど楽しいです。

おかげ様で満席となり、あとは気合い入れて演奏するだけです。


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武者小路実篤「友情」(新潮文庫)

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100ページくらいの短い作品です。
電車移動中にちょっと読もうと思って広げたら、止まらない止まらない。

トータル4時間くらいで読了しました。

内容はごく簡単にいえば「恋愛をとるか友情をとるか」という話です。

野島の気持ちも、大宮の気持ちも分かる。
なんか純粋で甘酸っぱい作品でした。

好きな人の些細な言動に一喜一憂する野島。
良い事があればウキウキ。嫌な事があれば生きる価値なんかないと絶望・・・。
分かりやすい振れ幅に思わず苦笑いです。

野島も大宮も真っ直ぐでとても仲良しです。互いを親友と思い、尊敬しあってます。
恋愛と友情の狭間で自分と他者に対し誠実でいようとする二人の姿は、そのギリギリ感も相まって印象的なシーンの連続です。


野島の最後の言葉に彼の真面目で純粋な一面が表現されています。

「僕は一人で耐える。そしてその淋しさから何かを生む。
(中略)いつか山の上で君達と握手する時があるかも知れない。
しかしそれまでは君よ、二人は別々の道を歩こう。」


あー、ピュアボーイな野島です。
叶わなかった思いの大きさゆえか、その反動で言わせた熱っぽい言葉という一面もあります。
でも、その言葉には野島らしさというか、彼の誠実さや親友の大宮へ込めた思いがあって、僕は嫌いじゃないです。

この小説は大正8年(1919年)の作品です。
読みやすく現代においても広く共感され得る作品だと思います。
青春真っ只中の中高生も、かつて青春時代を過ごした人も楽しめる作品です。


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ところで先日、ヘルマンヘッセ/著、松永美穂/訳「車輪の下で」(光文社新訳文庫)を読みました。

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題名に「あれっ!?」と感じた方もいるかもしれませんね。
一般的に知られている題名は「車輪の下」です。「で」が付かないのが一般的だと思います。

でも、この「で」に翻訳者のこだわりがあるそうです。
(運命の車輪の下で悶え苦しむ主人公の闘いぶりを現在進行形で伝えたい、という思いからだそうです)

光文社新訳文庫は海外古典文学を新たな翻訳で描き出し、意欲的な作品が多いです。
そして古典に付き物の注釈、その位置も良いです。
(注釈って巻末にまとまってる事が多いんですが、光文社版は同じページのすぐ脇に付いていて分かりやすいです。)

ちなみにサンテグジュペリの名作「星の王子さま」は光文社新訳文庫版では、
題名が「ちいさな王子」(野崎歓/訳)です。

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この光文社新訳文庫すごく興味あるので色々読んでみたいです。
海外文学にハードルを感じる僕の入門図書になりそうです。

面白そうな作品が沢山あるので良ければ皆さんも光文社のホームページをチェックしてみてください。

今日はこれにて以上です。

毎週月曜日に更新。次回は7月21日です。

読んで頂きありがとうございました。
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by mamesyakuhachi | 2014-07-14 10:28 | 武者小路実篤 | Comments(0)

この前、尺八奏者の後輩に久々に会いました。
たまにこのブログを読んでくれてるみたいです。

感想を聞いてみると

苦笑いしながら「暗いっすね~。」

正直な後輩です。でも、なぜだか嬉しかったです。
だって、俺のブログ探して読んでくれたんですからね。
その行動を考えただけで嬉しかったです。


今週の本です。

中島らも「ガダラの豚」(集英社文庫)

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全三巻。
長編サスペンスホラー。先月深夜に一気読みでした。
ハラハラ、ドキドキです。

昔、超能力ブームってありましたよね。

この本の冒頭は超能力者vs手品師の話から始まります。

トリックや仕掛けなど無い、あくまでも超人的なパワーと言い張る超能力者。
一方、全てはトリックだと言い、超能力者の嘘を暴こうとする手品師。
この小説の大きな流れがここで提示されてます。

超能力(非トリック、非理論) ⇔ 手品師(トリック、理論)

ここから出発し、第Ⅱ巻はアフリカに舞台を変え、

呪術 ⇔ トリック

という構図に展開します。

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僕はこの本の第Ⅱ巻が一番好きなんですが、アフリカ呪術とトリックという一見相容れないものを巧みに描き、展開が呪術寄りになったり、トリック寄りになったりします。この不安定な二律背反が作品に厚みと緊張感を与えています。

その第Ⅱ巻で登場する呪術師バキリ。バキリの周辺では超常現象と惨劇が起こります。
バキリは自分のする事が呪術でもトリックでも、どちらでも有り得るような、そしてそんな事はどっちでもいいような、湿り気ある邪悪さと乾いた嘘を持っています。

ストーリーには常に緊迫感があります。

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そして、第Ⅲ巻。舞台は日本へ。

…と、いきなり、この第Ⅲ巻からは急展開。


ややご都合主義的に事態が収束していきます。

ネタバレになるので詳しくは書きませんが、主人公が実は~だったなどのくだりとか
「展開早っ!えっ?そんな終わり方?」って感じです。

それゆえ第Ⅲ巻は賛否分かれるみたいです。

でも、この小説には著者のアフリカ呪術に対する敬意と知識が感じられて、ストーリーには重厚感があります。読み込ませるパワーを持った作品です。

はまれば一気読み間違いないです。

今週はこの辺で以上です。

毎週月曜日に更新。
次回は4/21です。

読んで頂きありがとうございました。


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by mamesyakuhachi | 2014-04-14 10:11 | 中島らも | Comments(7)

大学生の4割が読書時間ゼロというニュースを見ました。

まー僕も大学時代なんて読書なんてほぼしなかったので、偉そうなことは言えません。

なのでこの調査結果について、『最近の大学生は・・・』みたいな事を言う資格は、まー無いですし、言っても無意味だと思います。

でも僕から一つ言えるのは、世の中には沢山の本があって、それぞれの人の感性に合う本がきっとあるって事です。そして単なる文章から受けるイマジネーションみたいなものは結構大きいと思います。

例えば「その時、目に映った桜は今までに見た桜の中で最も鮮やかだった」という文章を読んだ時、読者の頭の中にはきっとその人の経験で一番美しい桜を思い浮かべると思うんですよね。

映像や絵が提示されていない時の強みというか、情報量が少ないからこそ得られる思考みたいなものの良さを感じる時があります。

と、まーそんな事を言いつつ、今日も本の紹介です。


中島らも「心が雨宿りする日には」(青春出版社)

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あ、やばい。

好きな作家かもしれない。

という予感がしつつ読んでみたら、あっという間の一気読み。

既に同じ著者の「ガダラの豚」も今読んでる途中です。

以前から「中島らも」という名前だけは知っていて、その名前から漂う雰囲気で僕が好きになりそうな感じを持っていました。

読んでみたら、あーやっぱり好きでした。


この本は著者がうつ病とアルコール中毒をかかえながら通院、入院、退院を繰り返す様を描いた闘病記です。

著者の「うつ」は「最近なんか俺、うつっぽくってさ~」なんて気軽にいうようなヤワなものでありません。
自殺未遂まで行くようなハードなものです。

30歳で一度目のうつ病、40歳手前で再発、42歳で躁病。しかも、それにアルコール中毒。
処方される精神安定剤や抗うつ剤、睡眠薬をストレートのウイスキーで飲み下す。
抗うつ剤では元気は出たが、「自殺する元気」が出るという本末転倒。

ファンキー、そしてクレイジー。

しかし一方で、仕事は順調で充実しています。
劇団に小説、エッセイ、バンド活動、かなりマルチです。

はたから見れば収入もあり、仕事も順調で羨ましがられる存在の著者。
しかしながら、現実はちょっと違っているのかもしれません。

著者は「あの時こうしていれば」という所謂「ればたら」は人生にはないし、考えても無意味だと言います。

「無数の選択肢の中で、自分が選べる選択肢を選んで人生を生きている。選べない選択肢を選ぶことは絶対にない」と言います。

著者は苦しみながらも前を向いています。強い人だなと思います。
「悲壮感などは抱かないように」過ごし、「(他人の)苦しさに比べたら、自分なんて“屁”のようだと思う」「上を見たらキリがない。元気な人はたくさんいるだろう。ただ、下を見てもキリがないのだ。」

著者は自分の置かれている状況を冷静に、時には楽観的に捉えようとしています。


この本は「うつ病」という重いテーマを扱っていますが、辛いエピソードも笑い話で蹴っ散らし、これくらいの事で負けてられるかという熱い気持ちが伝わってきます。

破天荒な闘病記ですが、前向きになれる一冊です。

でもでも、アマゾンのレビューで良いコメントありました。
「笑い飛ばしたあとの小さなため息」・・・なんかやっぱり切なさも感じるんですよね。



今日はこの辺で以上です。

毎週月曜日に更新。
次回は3月10日です。

読んで頂きありがとうございました。
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by mamesyakuhachi | 2014-03-03 11:14 | 中島らも | Comments(0)

髪を切りに行こうと思いましたが、成人の日なので予約の電話をいれる段階でやめときました。

今日の音楽は山崎まさよし「根無し草ラプソディー」です。25歳ぐらいのときによく聴いてました。


本の紹介です。

角田光代 著、近松門左衛門 原作「曽根崎心中」(リトルモア)

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結局は誰を、そして何を信じるのかって話なのかなと思います。

本の最後に「本書は近松門左衛門作『曽根崎心中』を翻案したものです」とあります。

本作は原作の筋を辿りながら、現代人にも分かるように挿話を交えながら、角田光代が「曽根崎心中」を新しく書き上げた作品だと思います。

原作は有名な作品なのでご存じの方も多いとは思いますが、この作品の主な登場人物は三人です。

お初、徳兵衛、九平次です。
ごく簡単に解説すれば、ヒロインがお初、その相手役が徳兵衛、悪役が九平次です。

女郎のお初と、醬油屋の徳兵衛の叶わぬ恋。そして、徳兵衛が九平次の罠にはめられて、二人は心中をしようと決心します。

徳兵衛が正義で、九平次が悪役という形に一応なってるんですが、この作品のちょっと面白いところは、結局はどっちの言い分が正しいのか、考えていくと、よく分からなくなっていく所です。

徳兵衛は九平次にはめられたと考えてるし、九平治も徳兵衛にはめられたと考えてます。

どっちの言い分が正しいのかという話も興味あるんですが、この作品で僕にとって一番大切なのは、お初から見た真実は何かって事だと思います。

お初にとってどっちが正しいかはあまり問題ではなくて、愛する徳兵衛の言ってる事を信じたいんじゃないのかなと思います。

お初は徳兵衛が嘘を言ってるのかもと心の中では思ってる部分があると思います。
でも、それでも信じたいんだと思います。
恋は盲目って感じでしょうか。

命を懸けて添い遂げたい徳兵衛を信じ抜く事が、お初にとっての真実なんだろうなって思います。


この本は著者が曽根崎心中の魅力を現代人でも分かるように、そして劇的に描いた名著だと思います。
原作と違うじゃないか、と思う方もいるかもしれません。
僕は近松門左衛門の原作を読んだことがなかったのですが、この本がきっかけで原作の現代語訳を読んだり、文楽を見たりしました。

この本を契機として、古典に触れたりするという意味でも、読む価値は充分あると思います。


ところで、文楽の「曽根崎心中」。

人形は表情が一緒のはずなのに、顔の傾き方や見え方で泣いてるようにも笑ってるようにも見えます。

すごく不思議で魅力的です。

この本を読んでから文楽の曽根崎心中を見ると、より楽しめます。



今日はここらへんで以上です。

毎週月曜日に更新。次回は1月20日です。

読んで頂きありがとうございました。
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by mamesyakuhachi | 2014-01-13 17:12 | 角田光代 | Comments(0)

今日の音楽はSAKEROCK「会社員と今の私」です。
アルバム「ホニャララ」に入っている楽曲です。

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ジャケットでSAKEROCKリーダーの星野源が音楽についてインタビューで話していることが印象的でした。

曲名の重要性、たとえば、楽曲にぴったりのタイトルがつくと途端に曲が輝きだしたり、また逆にタイトルから構想が浮かんだりする事。

アルバムタイトル「ホニャララ」については
「“ホニャララ” はまだ言葉になる前の、音楽そのものなんだ。音楽そのものに意味なんてない。だから音楽は、演奏する人にとっても聴く人にとっても、もっと自由であっていい。ホニャララはそんな僕の、独りごとみたいなもの」

SAKEROCKみたいな自由で懐が深い音楽 、良いです。



ところで話は変わり、、、、


前向き、後ろ向き、いつからだったか「人生は前向きに」みたいな事が世の中で流行った時期がありました。
今でもよく使われる言葉です。

この前、東京駅で新幹線を眺めた時に、新大阪に行くときは一番前になる車両は東京行きになると一番後ろになる、と当たり前の事を思いました。

基本的にあまり僕は明るくないからなのか、他人から「前向きになりなよ」と言われる事があります。
でも一方では、心のどこかで「あなたの言う前向きって何ですか」とあまのじゃくに考えたりもします。

昨日まで前だったものが、一夜で後になることもあり得るような気がしてます。

信念とか夢とか面白みのある「後ろ向き」 も良いと思います。
もっと言ったら人それぞれの「~向き」がありそうです。
自分に合う「~向き」に出会いたいです。
まぁおそらく「~な後ろ向き」みたいに形容詞が付いた後ろ向きになりそうですけど…。


まぁそんなことを思いながらも、いつも明るく笑顔の人は良いですよね。
なかなか自分がそうなれない事もあり、憧れたりします。

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前置き長いですが…本の紹介です。

西加奈子「ふくわらい」(朝日新聞出版)

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著者の文章は細やかで、そして句読点の独特な打ち方からリズムを感じます。
テンポを感じたり、前のめり後ろのめりを感じます。


タイトルの「ふくわらい」は、主人公の女性・鳴木戸定が幼少より親しんでいた子供の遊び、福笑いからきているようです。

自由に目や鼻や口を移動させながら、もともとの顔から離れる事で起こる不自然さや滑稽さを楽しむ福笑い。

大人になった定は、仕事で出会う人や街ですれ違う人の顔をみながら、それぞれのパーツの配置を自由に動かしたり取り換えたりします。そして、その個人を形成する上で大切な顔について興味をより深くしていきます。
しかしながら一方では顔も肉体も一つの皮膚でつながっただけのもの。顔だけに特異性を見いだすことは何だろうと考えたりもします。
そして自分や他人って 、その人そのものって何だろうとかとも考えます。


魅力的な登場人物たちが描かれています。


同僚の木暮しずくは、親しくなって間もない定に「私にとって、今の定ちゃんはすべてだよ、そんで、それは先っちょだよ」と言う。

人を知ることは、その人の過去全てまでを知ることまでは難しい。だからさきっちょだけが全て。
自分が他人を見たり、触れたりする顔や言葉。
重ねた時間から表出する僅かなさきっちょだけが全て。


新宿で偶然出会った盲目の武智次郎。目に見えない定を美しいと言い、定を抱きたいと思う。
その想いをかなえようとして「さきっちょだけ」と、はしたなく“聞こえる”言葉を言う。

今まで歩んできた長い時間を経て、触れ合うさきっちょ同士。
それだけで伝わること。自分と外を隔てる薄皮一枚 。
その先端にいる自分と他人。触れるだけで感じること。


プロレスラーの守口廃尊。傷を負いながらプロレスを続け、一方では文章を書く。
「言葉を組み合わせて、文章が出来る瞬間に、立ち会いたいんだ」「プロレスが怖くて、言葉に逃げてるんだ」と言う廃尊。定は「守口さんは、言葉を愛していらっしゃる」と答える。

定の言葉にほどかれた心は、いつか廃尊が自分を認めることにつながっていく。



定は自分と他人の顔や体も、全体が自他そのものである、と認める。
そして、その認知が自己のアイデンティティの回復に繋がっていく。
その時、定の中で福笑いは静かに離れていく。


武智次郎の振り回す白杖の作る美しい軌跡がきらきらと光っている。


他人から与えられたら言葉が、いつか自分の言葉になる。

無限の組み合わせの言葉は、無限の組み合わせのふくわらい。
与えた言葉や、言葉じゃないものが人に伝わったとき、「機微をしらない」「友情をしらない」と言った定の心に自己回復を辿らせていく。

そして自分や他人の「さきっちょ」から出た“ホニャララ”は、
さきっちょだけで充分に伝わるものだと知る。

だから自己を偽る必要もなく、あるがままで良いと知る。
もちろん、それが他人にどう思われるかは別として、です。



今日はこの辺で以上です。

更新は毎週月曜日。次回は12月16日です。

読んで頂きありがとうございました。
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by mamesyakuhachi | 2013-12-09 10:43 | 西加奈子 | Comments(5)

最近は自分のコンサートが続いていたので、演奏活動がメインのようなブログになってましたが、
これからしばらくは本とか映画とかのブログに戻ります。…多分。

尺八吹きのブログなんですけど、
あまり関係ない所から音楽に近付けていけたら良いなと思ってます。


今日の音楽はJohn Cage 「 4'33"」です。


無音の音楽、皆さんそれぞれで想像して下さい。

「everything we do is music」


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本の紹介です。

図書館で7月に予約を入れて、50人待ちを経て遂に順番が来た本です。
このブログの10月7日の記事でも少しだけ触れた本です。


いとうせいこう「想像ラジオ」(河出書房新社)

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「悲しみがマイクであり、スタジオであり、今みんなに聴こえている僕の声そのものなのかもしれない。」「我々には悲しみがあるじゃないか、と。」


「想像せよ。」「真実に向かって。」「あ、それなんかかっこいい。」



僕が偉そうに言えるほど持っていない想像力。


この本を読んで色々な言葉や過去に読んだ本を思いました。


僕がこのブログで11月10日にとりあえげた枡野浩一「くじけな」での“ある出来事”、
この「想像ラジオ」で扱っている主要テーマの根幹の出来事と同じ出来事です。


僕はその出来事について容易く語ることは出来ません。
上辺の同情もできないし、知識もない、まして当事者でもない。
でも、その出来事が複雑なのは全くの他人事ではなく、僅かな加害者意識も自分の中に感じる点です。


同じ “今” を生きる他人への深い理解は凄く難しいです。
そしてそれは自分自身についても同様です。

まして今いない人たちの事になれば、よりもっと分からなくなります。


この本を読むと、自分のフィルターを通して、考えや想いが浮かんだりします。
それは、宙に浮いた想いを拾って、自分の中のラジオ局を通して語っているこの本の主人公DJアークと少し似てる気がします。



見えない言葉。言葉になる前の言葉みたいなもの。
それが自分の心にやってきて、うろうろ一人歩きしていきます。



削られた言葉がある詩歌。
無音の写真や絵。
触れることの出来ない音。


何だかよく分からない話になってますね。
すいません。

「想像ラジオ」の魅力を自分なりの文章で記しました。


悲しみを持っている誰か、悲しみを持ち続けている誰かに、この本が届くことを祈っています。



今日はここで以上です。

毎週月曜日に更新。

次回は12月9日です。

読んで頂きありがとうございました。
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by mamesyakuhachi | 2013-12-02 11:03 | いとうせいこう | Comments(0)

『沈黙』遠藤周作/著 

おはようございます。

尺八吹きのブログなのに尺八と関係ないことばかり書いてます。

今回は“重めの本”ということで遠藤周作「沈黙」を取り上げます。僕が感想を書くのも恐れ多い作品ですが・・・。

遠藤周作(迷いましたが敬称は略します)は96年に亡くなりました。
その当時高校生だった僕はニュースで訃報を知りました。

同じ名字の有名人って、その当時はタレントの遠藤久美子(僕より年下の世代は知らないでしょうか・・・)ぐらいしか知らなかったので、著名人では数少ない遠藤姓のつながりを感じて、遠藤周作の本を読んでみようと思いました。

最初に読んだのは「砂の城」でした。たしかこれは若者の青春群像小説だったと思います。・・・まあ10年以上前に読んだので内容忘れてしまったんですけど。でも、すごく面白かったのを覚えてます。それから読書って結構面白いんだなと思い、遠藤周作のエッセイや村上春樹とか読んでました。

大げさかもしれませんが、僕のおおもとの読書のきっかけは遠藤周作だったわけです。

といってもその時の読書熱は1年くらいで飽きて、それから10年以上も読書に興味なく過ごしてましたけど。

前置き長くなりました。本題です。

遠藤周作「沈黙」
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ポルトガルのイエズス会から日本に派遣されていたフェレイラ教父が長崎で棄教を誓ったという知らせがローマ教会にもたらされる。敬虔なクリスチャンであり、他の教会からも多大な尊敬を集めるフェレイラ教父の棄教は衝撃的で、にわかには信じられぬ事件だった。
棄教の真偽、そしてキリシタン禁制の厳しい日本においてキリスト教の灯を消さぬようポルトガルの司祭ロドリゴとガルペは長崎に潜入を試みる。
ロドリゴが長崎で目にしたのは日本人クリスチャンへの残忍な拷問、ガルペの殉教。そしてフェレイラ教父の棄教の事実。ロドリゴは絶望しながらも、神の存在を信じ続けようとする。
しかし、ロドリゴが踏み絵をしなければ、日本人クリスチャンへの拷問は繰り返される。苦悩の中でロドリゴは遂に踏み絵に足をかける。


あらすじはこんな感じです。
日本におけるキリシタン弾圧の悲劇の中で「なぜ神は沈黙をつづけるのか」というテーマで描かれた遠藤周作の代表作です。

僕が読んで感じたのは信じる心とは何かということです。
司祭ロドリゴ、教父フェレイラ、日本人信徒キチジロー。それぞれが、それぞれの立場で真実を求めようとしている。それぞれの描く想いは時に相容れず、時には寄り添っていく。
信徒キチジローはロドリゴを裏切り、その後、身勝手にもロドリゴのもとで許しを乞う。狡猾で弱い人間。
キチジローは救いを求め叫ぶ「おいは生まれつき弱か。心の弱か者には、殉教さえできぬ。どうすればよか。ああ、なぜ、こげん世の中においは生まれあわせたか」

ロドリゴはキチジローに対し「人間のうちで最もうす汚いこんな人間まで基督は探し求めらたのだろうか」と苦悩する。

そして、ロドリゴは自分が転ばなければ(棄教しなければ)日本人信徒に拷問が繰り返される現実の中で、“うす汚れた”キチジローに対し、かつてキリストを裏切ったユダを重ねる。キリストはなぜユダを弟子の一人にしていたのだろうか。キリストはユダの本意を知りながら、どうして長い間知らぬ顔をしていたのか。

ロドリゴは苦悩の中、踏み絵に足をかける。
「基督は転んだだろう。愛のために。自分のすべてを犠牲にしても」



とても深く、戦慄を感じます。

是非たくさんの人に読んで欲しい作品です。

・・・ところで少し余談ですが、上記画像の表紙は新潮文庫版の装丁です。気に入ってます。
雲の間から僅かに指す光がとても象徴的です。この光は、やがて広がって地面や人間を照らすのか、それとも光は閉ざされて暗闇になるのか。・・・とか考えました。

以上、長々読んで頂きありがとうございます。

ところで 10月下旬に自分自身初めてのソロコンサートをします。

詳細は近々アップします。

次回の更新は7月5日にします。では、また。
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by mamesyakuhachi | 2013-07-01 11:48 | 遠藤周作 | Comments(0)