『深い河』遠藤周作/著

今日聞いてる音楽はコーネリアス「Sensuous」です。

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ところで自分のホームページ。前にこのブログでも少し触れましたが、まだ完成してません…。

8~9割は出来ているんですけどね。ソロコンサートまでにはと思ってます。


………………………………


昔読んだ本が、今読むと印象変わってることありますよね。

今日はそんな本を紹介します。


遠藤周作「深い河」(講談社文庫)

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この作品は高校時代に一度読みました。

その時は、あまり面白さを感じませんでした(というか何も感じなかった…)

が、今読むといろいろ感じる事がありました。


ところで、文庫の裏表紙には短いの紹介文ありますよね。内容や主要テーマを簡潔に書いたものです。

これを読むと購買意欲がわいてきます。

ちなみにこんなのです。

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今回は、その文章を頼まれてもいないのに自分で考えてみました。
良ければ読み比べて見てください。

最初が上記画像の講談社文庫版の紹介文で、後のが自作です。


愛を求めて、人生の意味を求めてインドへと向う人々。自らの生きてきた時間をふり仰ぎ、母なる河ガンジスのほとりにたたずむとき、大いなる水の流れは人間たちを次の世に運ぶように包みこむ。人と人のふれ合いの声を力強い沈黙で受けとめ河は流れる。純文学書下ろし長篇待望の文庫化、毎日芸術賞受賞作。



人間の迷いや悩み、全てを受け入れながら無常に流れる川、ガンジス。感情の高揚も失望も澱んだ川面に流されていく。来し方と行く末、そして忘却の中の死を思うとき、戦慄な輪廻が胸によぎる。信じる事、そして許す事。大河の傍らに臨む時、不可視の真ん中で、可視の生命に死者は鮮やかな色彩で生き返る。



…いかがでしょうか。ってこれ書いて何がしたいんだ、と自分に突っ込みいれながらも、書きました。

紹介文はやっぱり作品の世界観を端的に表現する必要があるので、作ってみたら結構大変でした…。


話を作品の中身に移します。
僕はこの作品を読んだ時に同じ著者の「沈黙」を思い出しました。

人の業も欲望も知ったうえで、それでもなお他人を許すこと。それは成し得難いものです。他人の嫌な所を見る時、同時に自分の嫌なところも見てしまいます。

自分が困窮しているときに、他者に優しさを与えられるのかとか考えました。他人から良く思われたいと思う自分や、最終的には自分の事を優先してしまう現実を考えました。


ガンジス川は全てを受け入れ流れていきます。しかしながら、その静かな流れには残酷で非情な現実も同時に感じます。その対比は、ガンジス川を通して人に様々な感情を思い起こさせると思います。

そして、この「深い河」や「沈黙」を考えるとき、僕の中に遠藤周作が生き返ってきます。そして、生きる事や信じるって何しょうかと著者に問いかけてしまいます。

………

作品は序盤に登場人物それぞれのインドへ向かう理由が描かれ、そして中盤~終盤に舞台はガンジス川へ移ります。

信じること、許すこと、そんなことを考えさせられる素敵な本です。


…という感じで今日は以上です。

更新は毎週月曜日。次回は10月6日です。

読んで頂きありがとうございました。
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by mamesyakuhachi | 2013-09-30 03:43 | 遠藤周作 | Comments(0)

『沈黙』遠藤周作/著 

おはようございます。

尺八吹きのブログなのに尺八と関係ないことばかり書いてます。

今回は“重めの本”ということで遠藤周作「沈黙」を取り上げます。僕が感想を書くのも恐れ多い作品ですが・・・。

遠藤周作(迷いましたが敬称は略します)は96年に亡くなりました。
その当時高校生だった僕はニュースで訃報を知りました。

同じ名字の有名人って、その当時はタレントの遠藤久美子(僕より年下の世代は知らないでしょうか・・・)ぐらいしか知らなかったので、著名人では数少ない遠藤姓のつながりを感じて、遠藤周作の本を読んでみようと思いました。

最初に読んだのは「砂の城」でした。たしかこれは若者の青春群像小説だったと思います。・・・まあ10年以上前に読んだので内容忘れてしまったんですけど。でも、すごく面白かったのを覚えてます。それから読書って結構面白いんだなと思い、遠藤周作のエッセイや村上春樹とか読んでました。

大げさかもしれませんが、僕のおおもとの読書のきっかけは遠藤周作だったわけです。

といってもその時の読書熱は1年くらいで飽きて、それから10年以上も読書に興味なく過ごしてましたけど。

前置き長くなりました。本題です。

遠藤周作「沈黙」
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ポルトガルのイエズス会から日本に派遣されていたフェレイラ教父が長崎で棄教を誓ったという知らせがローマ教会にもたらされる。敬虔なクリスチャンであり、他の教会からも多大な尊敬を集めるフェレイラ教父の棄教は衝撃的で、にわかには信じられぬ事件だった。
棄教の真偽、そしてキリシタン禁制の厳しい日本においてキリスト教の灯を消さぬようポルトガルの司祭ロドリゴとガルペは長崎に潜入を試みる。
ロドリゴが長崎で目にしたのは日本人クリスチャンへの残忍な拷問、ガルペの殉教。そしてフェレイラ教父の棄教の事実。ロドリゴは絶望しながらも、神の存在を信じ続けようとする。
しかし、ロドリゴが踏み絵をしなければ、日本人クリスチャンへの拷問は繰り返される。苦悩の中でロドリゴは遂に踏み絵に足をかける。


あらすじはこんな感じです。
日本におけるキリシタン弾圧の悲劇の中で「なぜ神は沈黙をつづけるのか」というテーマで描かれた遠藤周作の代表作です。

僕が読んで感じたのは信じる心とは何かということです。
司祭ロドリゴ、教父フェレイラ、日本人信徒キチジロー。それぞれが、それぞれの立場で真実を求めようとしている。それぞれの描く想いは時に相容れず、時には寄り添っていく。
信徒キチジローはロドリゴを裏切り、その後、身勝手にもロドリゴのもとで許しを乞う。狡猾で弱い人間。
キチジローは救いを求め叫ぶ「おいは生まれつき弱か。心の弱か者には、殉教さえできぬ。どうすればよか。ああ、なぜ、こげん世の中においは生まれあわせたか」

ロドリゴはキチジローに対し「人間のうちで最もうす汚いこんな人間まで基督は探し求めらたのだろうか」と苦悩する。

そして、ロドリゴは自分が転ばなければ(棄教しなければ)日本人信徒に拷問が繰り返される現実の中で、“うす汚れた”キチジローに対し、かつてキリストを裏切ったユダを重ねる。キリストはなぜユダを弟子の一人にしていたのだろうか。キリストはユダの本意を知りながら、どうして長い間知らぬ顔をしていたのか。

ロドリゴは苦悩の中、踏み絵に足をかける。
「基督は転んだだろう。愛のために。自分のすべてを犠牲にしても」



とても深く、戦慄を感じます。

是非たくさんの人に読んで欲しい作品です。

・・・ところで少し余談ですが、上記画像の表紙は新潮文庫版の装丁です。気に入ってます。
雲の間から僅かに指す光がとても象徴的です。この光は、やがて広がって地面や人間を照らすのか、それとも光は閉ざされて暗闇になるのか。・・・とか考えました。

以上、長々読んで頂きありがとうございます。

ところで 10月下旬に自分自身初めてのソロコンサートをします。

詳細は近々アップします。

次回の更新は7月5日にします。では、また。
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by mamesyakuhachi | 2013-07-01 11:48 | 遠藤周作 | Comments(0)