『でんでんむしの かなしみ(「新美南吉童話集」より)』新美南吉/著(ハルキ文庫)

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『ごん狐』や『手袋を買いに』といった作品で知られる童話作家の新美南吉。
教科書で読んだ事がある方も多いと思います。
1943年に29歳で亡くなった新美南吉は子供むけの童話をいくつか残しています。
この『でんでんむしの かなしみ』も童話作品の一つ。

ページ数にして僅か2ページのごく短い小品ですが、新美南吉独特の視点、悲しみへの眼差しを感じる作品になっています。

あらすじから紹介します。

まず冒頭、主人公のでんでんむしはこんな事に気づきます。

『わたしは いままで うっかりして いたけれど、 わたしの せなかの からの なかには かなしみが いっぱい つまって いるでは ないか』(128ページ)

悲しみが沢山つまっていると不安になる主人公のでんでんむし。
その悩みを相談するため友達のでんでんむしのもとを訪れます。
悩みを聞いた友達のでんでんむしはこう答えます。

『あなたばかりでは ありません。 わたしの せなかにも かなしみは いっぱいです。』(129ページ)

主人公のでんでんむしは期待していた答えを得られず、仕方なく別の友達にも相談する事にします。
別の友達はこう答えます。

『あなたばかりじゃ ありません。 わたしの せなかにも かなしみは いっぱいです』(129ページ)

返ってきたのは同じような答えでした。
そして主人公のでんでんむしは、このように思い至ります。

『かなしみは だれでも もって いるのだ。 わたしばかりでは ないのだ。 わたしはわたしの かなしみを こらえて いかなきゃ ならない』(129ページ)

解決になったような、ならないような、少し不思議なお話です。

子供むけの童話であれば、希望や喜びに繋がるように書く方法や、具体的な悩みの解決策を提示するやり方もあると思います。

でも、新美南吉はそう書かなかった。

「悲しみ」に対し、同じ「悲しみ」で相対することを選んでいます。

ここで少し脇道に逸れますが、先日『他力』五木寛之著(幻冬舎文庫)を読みました。
『でんでんむしの かなしみ』との繋がりを感じた部分があり、長くなりますが引用します。

『仮にオウム事件のようなことがあって、息子が刑に服することになったとする。
慈悲に満ちた父親であれば「がんばれ!自分の罪を償って再起して帰ってこい。私たちはいつまでも待っている。一緒に手を携えて新しい未来に向かって歩いていこうじゃないか」と励ますかもしれない。
では、昔の母親であったらどうか。「なぜこんなことになったの?これからどうするの?」と問い詰めるようなことはいっさい言わないだろう。ただ黙ってそばで涙を流して息子の顔を見つめている。お前がもしも地獄に墜ちていくのだったら自分も一緒について行くよ、という気持ちで手に手を重ねてうなだれている。
じつはこうしたことが人間の心の奥底にいちばん届くのです。
がんばれと言っても効かないぎりぎりの立場の人間は、それでしか救われない。』(120~121ページ)

新美南吉がどういう意図で『でんでんむしの かなしみ』を書いたのか、今では知りようもありません。
でも、新美南吉は悲しさや痛みに対して共に涙を流し、寄り添う道を模索したのかもしれません。

代表作『ごん狐』『手袋を買いに』でも、同じように悲しさが内包されていています。
『ごん狐』では、改心したごんは最後は銃に撃たれてしまいます。
『手袋を買いに』では、優しい物語ながら、人間讃歌の物語では決してない。

新美南吉が見ていた現実は何だったんだろうか、結核に苦しみながら思い通りにならない現実の中で何を思ったんだろうか、そんな事を考えた一冊でした。

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今週はこれにて以上です。
更新は毎週月曜日。
次回は8月17日。

読んで頂きありがとうございました。



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by mamesyakuhachi | 2015-08-10 00:01 | 新美南吉 | Comments(0)