コンサートのご案内を一件。

『koto concert 3rd』
【日時】2015年7月26日(日)開場15:00/開演15:30
【出演】神崎歌子、田辺雅美和、中島裕康(以上、箏、三味線)遠藤頌豆(尺八)
【料金】5000円(イタリアンブッフェ代込み)
【場所】青いナポリ(文京区小石川3-32-1 HP)

文京区小石川のイタリアンレストランでのコンサート。「旅」をテーマに古典曲から現代曲まで演奏します。音楽を楽しんだ後は、美味しいイタリア料理をご用意しています
ご来場お待ちしています。

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今週の本の前に、オススメの書評ブログを紹介します。

未翻訳ブックレビュー(β)

洋書のレビューサイトです。
「未翻訳」なのでブログ主は原書で読んでるって訳です。
うーむ、すごい。

・・・って、実はこのブログ。

僕の中学時代からの友達U君が6月に始めたブログなんです。

というと友達自慢みたいですけど。

中学時代から成績優秀だったU君。
自宅の本棚には夏目漱石や中島敦が並んでました。
「オススメの本、教えて」と彼に聞くと、控えめに「浅田彰の『構造と力』かなぁ」との返答。


『構造と力 記号論を超えて』浅田彰/著(勁草書房)
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うぬぬぬぬ。
なんとも難しそうな佇まい。
き、記号論?
聞いといて結局読まなかった。
あああ、タイトルに負けた。


本当に読んだのかい?
U君よ。


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今週の本です。

『夜露死苦現代詩』都築響一/著(ちくま文庫)

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写真家、雑誌編集者、ライターなど多彩な顔をもつ都築響一による現代詩への一考察をまとめた本書。

「詩は死んだのか?」が主要なテーマになっています。

冒頭で著者はこう言い切ります。
『行き詰まった現代音楽や、行き詰まった現代美術とまったく同じように、現代詩の業界もどんづまりまで行き詰まって久しい。』(8ページ)

末期的状況の現代詩の世界。
ならば「詩」は滅んでしまったのか?

著者は答えはノーです。

『詩は死んでなんかいない。(中略)詩人とは一生呼ばれない人たちが、現代詩だなんてまわりも本人も思ってもいないまま、こっちに言葉の直球勝負を挑んでくる。』(10ページ)

現代において「詩」が生きている場所は、専門家の集う詩壇や、高尚な現代美術館ではないと著者は言います。

「詩」が生まれるのは、ストリートや街の片隅、あるいは老人ホーム、または死刑囚の俳句、時には湯呑み茶碗。

そこで表現されるのは、生きる事の切実さであったり、赤裸々さであったり、滑稽さだったりします。


『はねたハネタ 人を 人を はねた(中略)
カワちゃんって名前のおっさんだった
金も無いし、住所も無い
戸籍もとっくの昔に売っ払った
存在しない人間 はねても罪にはなりません』
(第16章 肉体言語としてのラップミュージック 319ページ)

『オムツの中が犯罪でいっぱいだ』
(第1章 痴呆系 17ページ)

『世の中に、迷惑をかけるよりも、一日も早く、子供と私は、死なせて頂きとうございます。』
(第4章 池袋母子餓死日記 56ページ)

『綱 よごすまじく首拭く 寒の水』
(第5章 死刑囚の俳句 74ページ)


難解な現代詩とは離れたところにある上記の詩や言葉たち。

著者はそれらも「詩」と捉え、分かる人だけに分かってもらえれば構わないという閉鎖的な現代詩の世界(もちろん全ての詩人がそういう考え方ではないと思いますが)に疑問を感じています。

特に第17章の「相田みつを美術館訪問記」の文章には僕自身が身につまされる部分もあり印象的でした。

『プロは相田みつをを誉めもしなければ、けなしもしない。ただ眼をつぶって、耳をそむけて、きょうも(相田みつを)美術館の前を早足で通り過ぎるだけだ。』(337ページ)

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ちなみに勘違いして欲しくないのは、本書は現代詩批判の本ではありません。

肝心なのは、「何かを表現して誰かに伝えるという事は一体どういう事なのか」という事です。

僕も、本書を読みながら、その答えの出ない問いをグルグルずっと考えていました。

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今週はこれにて以上です。
更新は毎週月曜日。
次回は月日です。
読んで頂きありがとうございました。



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by mamesyakuhachi | 2015-07-20 00:01 | 都築響一 | Comments(0)