『名人伝(『李陵・山月記』より)』中島敦/著

尺八が登場するマンガ発見。

b0145160_1592457.jpg



俵谷哲典「それいけトン吉!」です。
・・・ちなみに尺八には音階あります。

---------------------

中島敦「名人伝(李陵・山月記より)」(新潮文庫)

b0145160_1595932.jpg


高校時代の授業で習った山月記。
当時の印象は「難しい漢字ばっかだなぁ」という情けない思い出のみ。
でもいま再読してみたら意外や面白い。
他者へ嫉妬と自己顕示欲の肥大から虎になってしまった主人公の李徴。その悲しさと切なさが他人事には思えず、ラストシーンの李徴の咆哮は胸に迫りました。

そして、この「李陵・山月記」に収められた短編「名人伝」。
こちらがなんとも面白い。
もはやギャグなのです。

主人公は趙の都に住む紀昌(きしょう)という人物。
ある時、弓を極めようと思い立ち名手・飛衛(ひえい)のもとに弟子入りします。
教えを乞いに来た紀昌に飛衛はこのように諭します。

『小をみること大の如く、微をみること著の如くなったならば、来って我に告げるがよい』

つまり「小さいものが大きく見えるようになれば、小さい的も大きく見え、矢を外すことはなくなる。それからまた来なさい」と諭したわけです。まずは目を鍛えなさい、と。
早速、紀昌は自宅に籠もって衣服についた虱(しらみ)を見続ける修行に入ります。
最初は微小に見えた虱でしたが、年月を重ねるにつれ少しずつ大きく見え始めます。
それから三年。
そしていざ外に出てみると…

『彼は我が目を疑った。人は高塔であった。馬は山であった。豚は丘の如く、鶏は城楼と見える。』

・・・おお、すごい進歩。
・・・ってオイ。
それじゃ逆に日常生活に支障きたすのでは・・・。
と、ツッコミたくなる展開。
が、物語はそんなツッコミには関係なく進みます。
そして目を鍛えた紀昌の弓の腕はとんでもないレベルに達していたのです。

『百本の矢を以て速射を試みたところ、第一矢が的に中(あた)れば、続いて飛来った第二矢は誤たず第一矢の括(やはず)に中って突き刺さり、更に間髪を入れず第三矢の鏃(やじり)が第二矢の括にガッシと喰い込む。後矢の鏃は必ず前矢の括に喰入るが故に地に墜ちることがない。瞬く中に、百本の矢は一本の如くに相連なり、的から一直線に続いたその最後の括は猶(なお)弦をふくむが如くに見える。』
(注、括:矢の一端で弦をかける部分)

たぶん絵にするとこんな感じ。(遠藤画)

b0145160_292544.jpg


おおーすごい
・・・でも、ちょっと待て。
矢自体の重みは・・・?
百本の矢がしならずに真っ直ぐ連なる事ができるって、一体どうなってんの・・・?
・・・いや、まー、もはや物理現象や自然法則までも遥かに超越した恐るべき境地に辿り着いたって事でしょうか。

(ちなみにその場面での師・飛衛の感想は『善し!』と一言だけ。弟子が弟子なら師も師だよ・・・)

そして、師から学びつくした紀昌はある日、飛衛に決闘を申し込みます。

その決闘の場面。

『二人互いに射れば、矢はその度に中道にして相当たり、共に地に墜ちた。地に落ちた矢が軽塵をも揚げなかったのは、両人の技が何れも神に入っていたからであろう。』

・・・オイオイ、矢が正面から激突して塵ひとつ落ちないって。
・・・いや、まー、もはや物理現象や自然法則までも(以下同文)

そしてこの後、紀昌はさらに高みを目指し、西の山に住むと言われる甘蠅(かんよう)老師を尋ね更に修行を重ねます。
そして9年後、紀昌は遂に弓を極めます。
それがこの物語の結末になるのですが、紀昌がどのような境地に至ったのか是非読んで確かめてみて下さい。

「堅苦しい作家」とばかり思っていた中島敦に親しみを覚える短編でした。

今週はこれにて以上です。
毎週月曜日に更新。
次回は4月20日。
読んで頂きありがとうございました。

[PR]
by mamesyakuhachi | 2015-04-13 02:30 | 中島敦 | Comments(0)