2014年 04月 28日
『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』想田和宏/著
ビブリオバトル。
いわゆる書評合戦。
以前から出ようかなと思っていた所、来月たまたま近所の図書館にて開催されるとのことで参戦してきます。
今から何の本を紹介するか迷ってます。
自分の好きな本。紹介したい本。他人の興味を惹きそうな本。
それぞれ似てる様で違うかもな…と考えると選書に迷います。
重い本は聞く方が疲れるし、軽い本だと対戦者と見劣りするかもしれない…。
どうしようかな。
いわゆる書評合戦。
以前から出ようかなと思っていた所、来月たまたま近所の図書館にて開催されるとのことで参戦してきます。
今から何の本を紹介するか迷ってます。
自分の好きな本。紹介したい本。他人の興味を惹きそうな本。
それぞれ似てる様で違うかもな…と考えると選書に迷います。
重い本は聞く方が疲れるし、軽い本だと対戦者と見劣りするかもしれない…。
どうしようかな。
とりあえず一旦それは置いといて今週の本です。
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想田和宏「なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか」(講談社現代新書)
これは自分の中では、好きな本に分類されます。
著者の職業は映画作家。撮る映画はドキュメンタリー、観察映画。
現実をありのままに観察して作品にしましたって言っても、カメラが入ることで作為はどうしても入ってしまいます。透明人間でも無い限り、カメラを向けた側と向けられた側の関係はゼロにならないわけです。
その時点で、「ありのままの姿」「これが現実です」とは言えないかもしれない。
それで著者は「参与観察」という言葉を用います。
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想田和宏「なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか」(講談社現代新書)
これは自分の中では、好きな本に分類されます。
著者の職業は映画作家。撮る映画はドキュメンタリー、観察映画。
著者は映画作家になる前はテレビ局の依頼でドキュメンタリー番組を手掛けていたそうです。
テレビ局の番組制作経験から、著者はドキュメンタリーはどうあるべきかと疑問を持つようになります。
テレビ局の番組制作経験から、著者はドキュメンタリーはどうあるべきかと疑問を持つようになります。
著者が感じた疑問というのは、ドキュメンタリーと言いながら筋書きや台本があったり、筋書きに合わない映像やインタビューを削除していく制作過程と台本至上主義です。
分かりやすい善と悪を設定する事、そして「これは絶対ウケるだろう。これなら泣けるだろう。」という方向性。
例えば泣けるシーンには廃墟に佇む姿を撮って悲しげな音楽を流し、「それでも前を向く」的な感動を煽るナレーション…というような演出。
例えば泣けるシーンには廃墟に佇む姿を撮って悲しげな音楽を流し、「それでも前を向く」的な感動を煽るナレーション…というような演出。
実際に現場で取材した事と違っていても演出や編集で元々の台本通りに作り上げ、時には過剰演出するドキュメンタリー番組。その手法に疑問を感じていきます。
その疑問を発端に著書は自分なりのドキュメンタリー、そして観察映画を撮る映画作家になります。
著者の映画を何本か見ました…僕はすごく謙虚だと思います。
その疑問を発端に著書は自分なりのドキュメンタリー、そして観察映画を撮る映画作家になります。
著者の映画を何本か見ました…僕はすごく謙虚だと思います。
著者が過去取り上げた題材は「友人の選挙活動」「精神病院」「義父の日常と猫」など。
映画には余計な先入観を与えないように作られています。演出も音楽もなければナレーションも無し。
登場人物が何者なのか、仲間なのか敵なのか、場所はどこで、どういう状況なのか。
映画では少しの材料を提示するだけで、大部分は観客の判断に委ねられてます。
僕が著書を知るきっかけになった観察映画「選挙」(2007年公開)
選挙活動での真剣さと本末転倒と少しの破綻。可笑しさ、不思議な合理性。
映画には余計な先入観を与えないように作られています。演出も音楽もなければナレーションも無し。
登場人物が何者なのか、仲間なのか敵なのか、場所はどこで、どういう状況なのか。
映画では少しの材料を提示するだけで、大部分は観客の判断に委ねられてます。
僕が著書を知るきっかけになった観察映画「選挙」(2007年公開)
選挙活動での真剣さと本末転倒と少しの破綻。可笑しさ、不思議な合理性。
そして色んな物がない混ぜになって突然リアルに現れる現実。
選挙で当選して、政治で世の中を変えたい…という目的と現実のズレが、笑えるようでありながら、異様な現実感に満ちています。善悪二元論ではとても片づけられないです。
選挙で当選して、政治で世の中を変えたい…という目的と現実のズレが、笑えるようでありながら、異様な現実感に満ちています。善悪二元論ではとても片づけられないです。
本書のもう一つのキーワード「参与観察」
現実をありのままに観察して作品にしましたって言っても、カメラが入ることで作為はどうしても入ってしまいます。透明人間でも無い限り、カメラを向けた側と向けられた側の関係はゼロにならないわけです。
その時点で、「ありのままの姿」「これが現実です」とは言えないかもしれない。
それで著者は「参与観察」という言葉を用います。
撮る側ありきで現実を観察せざるを得ない。だから参与観察。
そして完成した作品では撮る側を無いように演出することも編集もしない。
その関係性も全部ひっくるめて作品にする。それが一番自分の見た現実に近いだろうと。
その姿勢に触れた時、僕自身も自己を通してしか観察できない世の中というものを思います。
その関係性も全部ひっくるめて作品にする。それが一番自分の見た現実に近いだろうと。
その姿勢に触れた時、僕自身も自己を通してしか観察できない世の中というものを思います。
だから著者の姿勢が謙虚で、共感を抱きます。
そして、それ故に著者の映画が観客それぞれにとってのドキュメンタリーに成り得るんじゃないかなと思います。
今週はこの辺で以上です。
今週はこの辺で以上です。
毎週月曜日に更新。次回は5月5日です。
読んで頂きありがとうございました。
読んで頂きありがとうございました。
by mamesyakuhachi
| 2014-04-28 10:13
| 想田和宏