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『100万回生きたねこ』佐野洋子/著

三年ぶりのブログ更新です。

写真も古いので変えました。

三年も何やってたんだと、思う方も、思わない方も、興味ある方も興味ない方もいると思います。

ブログを更新をしようと思ったのは、自分の今思ってる事とか関心あることを発信してみようかなと思ったからです。

趣味のブログに近くなるかなと思いつつ。

最近暇を見つけては図書館行って本をかりて読んだりしてます。趣味読書っていうと少し高尚な感じですが、好きな本をぼちぼち読んでるくらいです。

それでこれからブログで読んだ本を紹介しながら日々感じることや思うことを書いていきたいと思います。

初回はすごくメジャーな本です。

佐野洋子「100万回生きたねこ」
『100万回生きたねこ』佐野洋子/著_b0145160_8184836.jpg


内容はご存じの方も多いと思います。百万回生きて百万回死んだ とら猫。死ぬのなんか平気で悲しくもない。
それがある時、白く美しい猫に出会い恋をする。愛と悲しみを知ったとら猫は二度と生き返らなくなる。

この本の良さは、あくまで自分の考えですが、「いろいろな読み方ができること」と思っています。
佐野洋子さんが亡くなる少し前の対談集「人生のきほん」の中で、この絵本について触れているんですが、
対談相手の西原理恵子さんという方が「子供にはわからないかも」と言ったことに対して「分からなくていいのよ」と仰ってました。
僕はそれが凄く印象的でした。
この絵本について色々な解釈がされています。僕はどれも興味深いです。

白い猫を深く愛して死んだとら猫は幸せで、生き返っても白い猫にはもう会えない。白い猫を愛した思い出を死という永遠に閉じ込める。という解釈。そして、それに近いもので、白い猫に会えないならもう生き返っても意味がない。初めて訪れた悲しみと後悔は、同時に生きたことへの限りない喜び。という解釈。そして、それと違う解釈で、白い猫に対する愛は、とら猫の一方的な愛であり、それはこの絵本の冒頭で繰り返されたとら猫の経験がそのまま白い猫に当てはまるという解釈。

僕はどの解釈も興味深く面白く、短くも簡潔なこの絵本の深さに感動しました。

人生のある時点で「これが正解だろう」と思うことってあると思います。でも僕は迷いがちで悩みやすい人間なので「あの時は正解だと思ったけど違うかも」と思ってしまいます。そんな人間だから、この絵本の幅の広さや深さが好きなんだと思います。絵本というもの良さは言葉の少なさと、そして一つ一つのページに文字を埋めつくさない表現手段だと思います。絵の美しさや、言葉の配置、そして少ない言葉だからこそ、その一言ずつがきちんと時間をかけて選ばれている。

そんな素敵な絵本です。

ところで現在「ドキュメンタリー映画 百万回生きたねこ」が公開中です。といっても既にほぼ公開が終了していて残るは群馬県高崎での公開のみの様です。映画がある事を先日知ったばかりで、まだ見ていないのですが、近いうちに高崎に行って見てみたいです。
佐野洋子さんの晩年と絵本を巡る人々の想いを描いた映画との事です。面白そうです。

では長々と雑記失礼しました。今日はこの辺で。
by mamesyakuhachi | 2013-06-23 08:26 | 佐野洋子